本線改修作業完成! その5 [活動報告]
前回からの続きです。
ヤード入り口部分の改修工事が終わり、ホハ5が本線に出られるようになりましたが、工事はまだ終わっていません。1番線が本線として開通したものの、2番線・3番線はまだ途切れたままです。
そこで蒸機列車運行期間でもある5月3日から5日にかけても工事が続けられています。
5月3日の午後から2番線の延長作業が始まりました。
2番線のうち、改修しなければならない部分の軌道はすでに撤去されています。そしてこの日の工事に先駆けて保線大臣豊N氏の指導により、コンクリート枕木と15kg/mレールを組み合わせた10mの軌框が用意されていました。保線大臣が普段本業で実施しているサブロクゲージの軌道工事と同様の工法で、この軌框を2番線の先に接続するというのです。
3日の営業列車終了後、いよいよ延長工事が始まります。
用意された軌框を延長位置まで運ばなくてはなりません。しかしこの軌框は2フィートとはいえ重量が2トンほどもあり、もはや人力での運搬は不可能です。そこで助っ人にゆめ牧場さんのミニユンボが登場です。軌框にワイヤーをかけて運搬します。
もちろん、この重さではミニユンボ1台でも荷が重過ぎます。さらに当会所有のミニユンボも登場して2台で敷設位置に移動させます。コンクリート枕木の軌框に響き渡る2台のユンボのエンジン音、もはやアマチュアの保存活動とは思えない光景が広がります。
今回の工事区間には踏切があり、そこはゆめ牧場さんのトラクター遊覧も通行するルートになっています。夕方から始まった作業ですが、明日朝の時点で踏切が通行可能になっていないと、ゆめ牧場さんの明日の営業にご迷惑をおかけしてしまいます。ですので、踏切部分が通行可能になるまでは作業を終えるわけにはいきません。日が暮れた後も投光器を設置して作業が続きます。
まずはユンボとバールを駆使して軌框の位置決めを行い、改修しない部分の軌道の先にレールを接続します。そして砕石を入れ、道床を造ります。さらに踏切となる道路との交差部分には砕石が入った土嚢を敷設します。この砕石入り土嚢を使った工法も保線大臣豊N氏直伝であり、サブロクの保線現場でもよく使われる方法だそうです。
今回は線路の間にこの土嚢を詰め込み、道路としての通行を確保します。
日中の蒸機列車運行後に夕食も摂らずに開始されたこの作業、ようやく道路が通行可能になったのは、3日夜8時過ぎのことでした。
心地よい疲労感や充実感とともに、羅須地人たちは意気揚々と冷えたビールの待つ罐猫軒宴会場へと引き上げていったのでした。
まだ続きます。
ヤード入り口部分の改修工事が終わり、ホハ5が本線に出られるようになりましたが、工事はまだ終わっていません。1番線が本線として開通したものの、2番線・3番線はまだ途切れたままです。
そこで蒸機列車運行期間でもある5月3日から5日にかけても工事が続けられています。
5月3日の午後から2番線の延長作業が始まりました。
2番線のうち、改修しなければならない部分の軌道はすでに撤去されています。そしてこの日の工事に先駆けて保線大臣豊N氏の指導により、コンクリート枕木と15kg/mレールを組み合わせた10mの軌框が用意されていました。保線大臣が普段本業で実施しているサブロクゲージの軌道工事と同様の工法で、この軌框を2番線の先に接続するというのです。
3日の営業列車終了後、いよいよ延長工事が始まります。
用意された軌框を延長位置まで運ばなくてはなりません。しかしこの軌框は2フィートとはいえ重量が2トンほどもあり、もはや人力での運搬は不可能です。そこで助っ人にゆめ牧場さんのミニユンボが登場です。軌框にワイヤーをかけて運搬します。
もちろん、この重さではミニユンボ1台でも荷が重過ぎます。さらに当会所有のミニユンボも登場して2台で敷設位置に移動させます。コンクリート枕木の軌框に響き渡る2台のユンボのエンジン音、もはやアマチュアの保存活動とは思えない光景が広がります。
今回の工事区間には踏切があり、そこはゆめ牧場さんのトラクター遊覧も通行するルートになっています。夕方から始まった作業ですが、明日朝の時点で踏切が通行可能になっていないと、ゆめ牧場さんの明日の営業にご迷惑をおかけしてしまいます。ですので、踏切部分が通行可能になるまでは作業を終えるわけにはいきません。日が暮れた後も投光器を設置して作業が続きます。
まずはユンボとバールを駆使して軌框の位置決めを行い、改修しない部分の軌道の先にレールを接続します。そして砕石を入れ、道床を造ります。さらに踏切となる道路との交差部分には砕石が入った土嚢を敷設します。この砕石入り土嚢を使った工法も保線大臣豊N氏直伝であり、サブロクの保線現場でもよく使われる方法だそうです。
今回は線路の間にこの土嚢を詰め込み、道路としての通行を確保します。
日中の蒸機列車運行後に夕食も摂らずに開始されたこの作業、ようやく道路が通行可能になったのは、3日夜8時過ぎのことでした。
心地よい疲労感や充実感とともに、羅須地人たちは意気揚々と冷えたビールの待つ罐猫軒宴会場へと引き上げていったのでした。
まだ続きます。
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