井笠客車から“お宝”! 後編 [トピックス]
さて、前回は西武園ゆうえんちのレストランポッポ時代の“お宝”でしたが、今回の“お宝”はさらに時代をさかのぼり、西武鉄道山口線、そして井笠鉄道時代の“お宝”です。
西武山口線時代の“お宝”、レストア作業のため内張りを剥がしたところから出てきました。
出てきたのは“遊園地前→ユネスコ村”の“おとぎ線乗車券”です。
、「発売当日限り有効 200円」の表示がある硬券の切符です。一部に剥がれや汚れがありますが、“57,11,-3”の日付印もしっかりと判読できます。この乗車券が発見された場所から想像すると、おそらく乗客の一人が窓枠と窓袋の隙間に誤って落としてしまったものと思われます。
乗車券の日付は文化の日です。この切符の持ち主は祝日を利用しておとぎ列車に乗ったものの、切符を紛失してしまい冷や汗をかいたことでしょう。もちろん遊園地前は有人駅で切符がないことには乗車できませんし、途中駅があるわけでもないので、ユネスコ村駅できちんと申告し、事なきを得たものと思われます。
しかし、落とした場所が良かった(悪かった?)のか、その後、この車両がレストランに改造された際も発見されず、そのまま29年の時を超え、ようやく今回改めて日の目を見ることとなりました。
この車両が西武山口線で活躍していたことを物語る貴重な資料です。
続いての“お宝”は、さらに時代をさかのぼります。
塗料で厚く塗り込められたフレームに取り付けられていた“銘板”です。
元からフレームに取り付けられており、改めて“発見”されたわけではありませんが、長い年月にわたり厚く塗料が塗られていたこともあり、そのままでは銘板の文字すら判読ができないほどでした。しかし、その厚い塗膜をていねいに剥がすと、大正2年の新製時そのままの、鋳物製の鈍い輝きを放ちはじめたのでした。塗膜で潰れていた「社會輛車本日 年二正大」の文字や日本車輛のマークの陽刻も、まるで新品のようにはっきりと確認できます。
この銘板は、車両の素性を証明する貴重な銘板ですので、レストア完了と共にまたフレームに取り付けられる予定です。
そして、最期の“お宝”、これはフレームそのものに残されていました。
フレームの塗装を剥離したところにうっすらと文字が浮かび上がってきました。
フレームに浮かび上がった文字は「社會式株道鐵便軽岡笠原井」、そう、井笠鉄道の開業時の会社名が右から書かれていまず。大正4年には「井笠鉄道株式会社」に社名変更しており、明治44年の設立時から4年間のみの社名です。この社名がフレームの鋼材に手書きで書かれていたのでした。
この車両が製造された大正2年は、その3年前に施行された軽便鉄道法のおかげで、日本全国で軽便鉄道の建設ラッシュに沸いていました。おそらく、この車両が製造された日本車輛製造株式会社の工場でも各地の軽便鉄道からの注文が殺到し、多数の木造軽便客車を製造していたことと思われます。他社線の車両と混同することがないよう、そのフレームに注文主である井笠鉄道の社名を書き込んだのでしょう。
さすがに塗膜を剥がしたそのままの状態にはできませんので、記録として撮影した後に、その上からあらためて防錆塗装を行いました。そのため今はもう見ることはできませんが、いつの日かまたフルレストアを受ける際には見ることができるかもしれません。
ということで、2回にわたり井笠客車から発見された“お宝”についてお伝えしてきました。
いづれもレストア作業の過程で“発見”された“お宝”ですが、どの“お宝”もこの車両が経てきた歴史を雄弁に物語るものばかりです。そしてもちろんこの車両自体も、その構造や細工、補修履歴などすべて歴史的な背景があるひとつの“お宝”でもあります。わたしたちが取り組んでいるレストア作業も、必然的にこの車両が過ごして来た年月と向き合う作業でもあります。この車両が経てきた100年近い歴史を紐解きながら、この車両の“これから”を形作っていくことになります。
西武山口線時代の“お宝”、レストア作業のため内張りを剥がしたところから出てきました。
出てきたのは“遊園地前→ユネスコ村”の“おとぎ線乗車券”です。
、「発売当日限り有効 200円」の表示がある硬券の切符です。一部に剥がれや汚れがありますが、“57,11,-3”の日付印もしっかりと判読できます。この乗車券が発見された場所から想像すると、おそらく乗客の一人が窓枠と窓袋の隙間に誤って落としてしまったものと思われます。
乗車券の日付は文化の日です。この切符の持ち主は祝日を利用しておとぎ列車に乗ったものの、切符を紛失してしまい冷や汗をかいたことでしょう。もちろん遊園地前は有人駅で切符がないことには乗車できませんし、途中駅があるわけでもないので、ユネスコ村駅できちんと申告し、事なきを得たものと思われます。
しかし、落とした場所が良かった(悪かった?)のか、その後、この車両がレストランに改造された際も発見されず、そのまま29年の時を超え、ようやく今回改めて日の目を見ることとなりました。
この車両が西武山口線で活躍していたことを物語る貴重な資料です。
続いての“お宝”は、さらに時代をさかのぼります。
塗料で厚く塗り込められたフレームに取り付けられていた“銘板”です。
元からフレームに取り付けられており、改めて“発見”されたわけではありませんが、長い年月にわたり厚く塗料が塗られていたこともあり、そのままでは銘板の文字すら判読ができないほどでした。しかし、その厚い塗膜をていねいに剥がすと、大正2年の新製時そのままの、鋳物製の鈍い輝きを放ちはじめたのでした。塗膜で潰れていた「社會輛車本日 年二正大」の文字や日本車輛のマークの陽刻も、まるで新品のようにはっきりと確認できます。
この銘板は、車両の素性を証明する貴重な銘板ですので、レストア完了と共にまたフレームに取り付けられる予定です。
そして、最期の“お宝”、これはフレームそのものに残されていました。
フレームの塗装を剥離したところにうっすらと文字が浮かび上がってきました。
フレームに浮かび上がった文字は「社會式株道鐵便軽岡笠原井」、そう、井笠鉄道の開業時の会社名が右から書かれていまず。大正4年には「井笠鉄道株式会社」に社名変更しており、明治44年の設立時から4年間のみの社名です。この社名がフレームの鋼材に手書きで書かれていたのでした。
この車両が製造された大正2年は、その3年前に施行された軽便鉄道法のおかげで、日本全国で軽便鉄道の建設ラッシュに沸いていました。おそらく、この車両が製造された日本車輛製造株式会社の工場でも各地の軽便鉄道からの注文が殺到し、多数の木造軽便客車を製造していたことと思われます。他社線の車両と混同することがないよう、そのフレームに注文主である井笠鉄道の社名を書き込んだのでしょう。
さすがに塗膜を剥がしたそのままの状態にはできませんので、記録として撮影した後に、その上からあらためて防錆塗装を行いました。そのため今はもう見ることはできませんが、いつの日かまたフルレストアを受ける際には見ることができるかもしれません。
ということで、2回にわたり井笠客車から発見された“お宝”についてお伝えしてきました。
いづれもレストア作業の過程で“発見”された“お宝”ですが、どの“お宝”もこの車両が経てきた歴史を雄弁に物語るものばかりです。そしてもちろんこの車両自体も、その構造や細工、補修履歴などすべて歴史的な背景があるひとつの“お宝”でもあります。わたしたちが取り組んでいるレストア作業も、必然的にこの車両が過ごして来た年月と向き合う作業でもあります。この車両が経てきた100年近い歴史を紐解きながら、この車両の“これから”を形作っていくことになります。
タグ:井笠客車
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