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東洋活性白土2号機がまきば線にやってきた その1 [活白2号機]

今回、この東洋活性白土2号機(通称:くろひめ号)がまきば線にやってきました。その背景には多くの方々のご尽力と、そしていくつかの大変幸運な偶然が重なって、ようやく実現したのでした。


まきば線から旅立つ直前の2号機

もともとこの機関車は、福島県にある協三工業株式会社で製造されました。製造年については、実際には諸説があるようですが、その銘盤から昭和31年とされており、この機関車は日本で最後に製造された実用蒸気機関車とも言われているのでした。(その後も遊覧用の蒸気機関車は製造されています)

その後、この機関車は新潟県糸魚川市の東洋活性白土株式会社に買い取られ、同社の専用線で使われることになりました。この専用線にはすでにもう1台の蒸気機関車(1号機)がいましたが、不具合があったとのことで、この機関車が増備されたようです。そのため同社ではこの機関車は「2号機」と呼ばれるようになりました。
この専用線で、2号機は工場と糸魚川駅近くの積み替えホームとの約800mの間を往復することになりました。短い距離でしたが、製品をトロッコに積んで、国鉄の貨車が待つ積み替えホームへと運ぶ毎日が続いたのでした。

その後、昭和48年にはわたしたち「羅須地人鉄道協会」が自分たちの機関車をこの専用線に持ち込ませていただき、毎年5月には運転会を行うようになりました。このイベントは糸魚川のみなさんにも公開され、大変賑わいとなりました。そしてこのときにも2号機も登場し、大活躍したのでした。
(ちなみにその様子はpleiadesの蒸気機関車写真館こちらでご紹介いただいています。)

そのころ同じような専用鉄道で蒸気機関車がディーゼル機関車に代わったり、また鉄道そのものを廃止してトラック化するところがあっても、この東洋活性白土専用線ではいつものように2号機が工場と積み替えホームの間を行ったり来たりの日々が続いていたのでした。そして気が付くと、国内で蒸気機関車を使っている鉄道はここだけになっていました。2号機は“日本で最後に製造された実用蒸気機関車”だけでなく、“日本で最後まで使われた実用蒸気機関車”にもなっていたのです。

しかしそんな日々にも終わりがやってきました。昭和57年、東洋活性白土(株)が解散することになってしまったのです。そしてこの機関車は糸魚川市に寄贈されることになりました。廃止になるその日まで元気に動いていた機関車でしたから、糸魚川市としても動態で保存をする計画があったそうです。しかしその後、計画は変更になってしまったようで、程なくこの2号機は糸魚川駅の裏にある市立糸魚川小学校の校庭に展示されることになったのでした。
1両分の短い線路の上でしたが、屋根つきということもあり、他の保存蒸気機関車と比べても、良い状態での保存でした。運転台にはアルミサッシの扉が設けられ、周囲には柵が作られ、いたずら防止のため、いくつかのネジは溶接されました。その後、2号機は小学校の校庭で長い月日を過ごします。

そしてこの機関車に再びスポットライトが当たる日がやってきました。それは2号機のボイラーから火が落とされて25年目のことでした。
今年7月10日から東京・両国の江戸東京博物館で「大鉄道博覧会」というイベントが開催されることになり、そこでこの東洋活性白土2号機を展示することになったのでした。
このイベントでは、“昭和”という時代にスポットを当てて鉄道を見てみようということで、当時の鉄道で重要な役割を果たした蒸気機関車を会場内で展示できないかという話になったそうです。展示会場は屋内のため、大きな蒸気機関車は無理ですが、小型の軽便用蒸気機関車であればということで、いくつかの蒸気機関車が候補に挙がったそうです。そして“最古の国産動態保存機関車”である「下工弁慶号」とともに“国産最後の実用機関車”ということで「東洋活性白土2号機」が選ばれたのでした。

いよいよこの2号機がふるさと糸魚川を離れ東京に来ることが決まりました。しかしまだこの段階では、まきば線にまで来ることにはなっていませんでした。


“国産最後の実用機関車”を示す2号機の銘盤

つづきます


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