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5月蒸機列車運行こぼれ話“赤い悪魔” [活動こぼれ話]


まきば線の主力機6号機

今回3日間にわたって活躍した6号機。この6号機はまきば線の主力機の1両として蒸機運転の際には大活躍していますが、一方、3号機と同型でありながら、「蒸気の上がりは悪く、落ちは早い」と糸魚川時代から機関助手泣かせの異名をとどろかせていました。今回の蒸機列車運行でもその実力を遺憾なく発揮し、何人かのカマ焚きの方々がその餌食となったのでした。

一人目の犠牲者
まず最初の餌食となったのは、5月3日、午後からの運用で機関助手となったAさんでした。
Aさんは羅須地人鉄道協会創立時からのメンバーで、6号機とは台湾から里帰りさせたとき以来の長い長い付き合いです。会の創成期の糸魚川時代には、中心となってカマを焚いていました。しかしお仕事の都合などで途中ブランクがあり、今回の蒸機運行はおよそ四半世紀ぶりのカマ焚き(機関助手)となりました。
運転指令もそのブランクを承知した上で、かつてのキャリアから6号機の罐を任せることにしたのでした。それでもペアを組ませる機関士にこれまた糸魚川時代から6号機と付き合ってきたとっちゃんを配し、万全を期した…はずだったのでした。


午後1時、余裕の笑顔でポッターとの交代に臨むAさん(左)

午後1時、それまで運用についていたポッター号と機関車ごと交代する形で、とっちゃんとAさんの乗務する6号機が列車の先頭に就きました。Aさんも久しぶりのカマ焚きにも余裕の笑顔です。

ところが。
6号機に代わってから2~3本目の列車だったでしょうか、機関庫付近にいた運転指令が、ふとモトクロス場をはさんだ向こう側の線路を見ると、なんとティンバー(木橋)に向かう築堤上で、列車が停車しているではないですか!
運転指令がすぐに無線で6号機を呼び出します。
「どうしましたか~?」
機関士のとっちゃんから返事が入ります。
「圧が下がっちゃって勾配途中で止まっちゃいました。バックして登りなおします!」
ティンバー前の築堤は、まきば線の本線ではもっとも勾配のきついところで、ボイラーの蒸気圧が低いときにはとても苦しい場所でもあります。今回は蒸気圧の低下に加え、2両のフラットカーに満載のお客さんという悪条件が重なり、勾配途中で立ち往生ということになってしまったようでした。
その後、6号機は蒸気圧を上げるため、煙突からもうもうたる煙を上げながら約100mほどバックし、勾配のゆるいところで蒸気圧の上昇を待って再チャレンジです。それでもお客さんも乗っておりわずかな時間で再出発ですから、蒸気圧もそれほどあがるわけではありません。6号機は苦しそうにあえぎながら築堤の勾配を少しづつよじ登っていきます。そしてとうとう勾配の終わりであるティンバーにたどり着いたとき、満員のお客さんからは期せずしていっせいに6号機の健闘をたたえる拍手が巻き起こったのでした。

乗務の後、Aさんはこう語っていました。
「いやーちょっと油断したら4キロ切っちゃってね(通常使用圧力は6キロ)、坂を上れず後戻りだよ。必死で焚いて圧を戻して、大変だったよ! でも坂を上りきった時にはお客さんから拍手されちゃってね、なんだかうれしかったなぁ」
久しぶりの6号機は、Aさんが四半世紀のうちに忘れていたことを一気に思い出させてくれたようです。


久しぶりの乗務は思い出深いものになったAさん

二人目の犠牲者
次の餌食となったのは、2日目に乗務したFさん。Fさんも6号機とは糸魚川時代から四半世紀以上の付き合いで、しかもまきば線でももう数え切れないくらい6号機のカマを焚いてきています。経験という点でも、Fさんは羅須地人の中でもトップクラスの乗務員といえましょう。
一方、Fさんはそのこわもてとは裏腹に、子供たちが大好きで、Fさんが乗務の時には積極的にお子さんたちを運転台に乗せてあげ汽笛を鳴らさせたりしています。この日も、乗降中の停車時間の間、機関車を覗き込むお子さんたちにいつものように汽笛を鳴らさせていたのでした。


運転台で子供たちの相手をするFさん

ところが。
お子さんたちに汽笛を鳴らさせているうちに、駅長から出発の合図が出されてしまいました。運転台にいたお子さんを急いで客車に戻し、安全確認の後、直ちに出発進行です。そこでふと圧力計を見てみると……圧力計の針はなんと3キロ。通常使用圧力の半分です。Fさんは子供たちの相手をしていてボイラーへの投炭をすっかり忘れていたのでした!
乗り場を出てしばらくは下り勾配ですが、その先のオメガカーブから先はだらだらと上り勾配、そしてその先は前日Aさんが立ち往生した築堤へと続いています。圧力は3キロ、お客さんは2両のフラットカーに満載。Fさんは青くなりました。どう考えても立ち往生は必至です。
結局、Fさんは上り勾配が始まる地点で列車を止め、必死にカマを焚いて昇圧する羽目になったのでした。

乗務の後Fさんは語りました。
「駅で子供たちと遊んでいたら、いつの間にか3キロまで落ちててさ。6号はアッという間に圧が落っこちるから気が抜けないね。」
Fさんのような熟練の乗務員にもスキを見せると容赦なく牙をむく6号機だったのでした。


その夜、たこ焼きを焼きながら愚痴るFさん
「いやぁ、6号機は油断ならないね!」

三人目の犠牲者
3人目の犠牲者は3日目に乗務したKさんでした。このKさんも羅須地人の古参会員の一人で、糸魚川時代にも6号機で苦労をしたことのある方です。まきば線敷設時には一人で1日30mの線路を敷設し「脅威の1日30m男」という異名も持っています。
そのKさんも一人目の犠牲者Aさんと同じく、お仕事の都合でブランクがあり、6号機のカマを焚くのは同じく四半世紀ぶりになります。Kさんが乗務に就いたときはお客さんの増加に対応すべく、立山人車を増結しているときでした。本務機6号機、間にフラットカー2両と立山人車を挟んで3号機の後補機が付いています。
運転指令としても、Kさんの久しぶりの乗務に一抹の不安がなかったわけでもありませんが、後補機が付いているし、念のために、6号機の機関士にはメカニックのSさんを配置しておいたので、多少のことなら何とかなるでしょうと考えていたのでした。

異変が起こったのは、乗務員交代して1周回った後のことでした。
駅長から運転指令に突然の無線連絡です。
「3号機を前に連結したいが許可をもらえるか?」
どうやら運行上、問題が発生しその解決のために3号機を前につなげる必要があるようです。運転指令がその理由を聞いたところ、
「6号機の圧力が低下、本務機として走行不能なので、急遽3号機を前補機にしたい」
とのことでした。
先日もおしらせしたとおり、乗り場のプラットホームの有効長と、その先の踏切の関係で、前補機での重連運用が難しい状況でした。しかしたくさんのお客さんが乗車をお待ちになっている今、列車が乗り場に停車中には踏切を封鎖しなければなりませんが、それでも運行することが優先です。
運転指令は指示を出しました。
「許可します。3号機は単機で本線を逆行し6号機の前に連結してください!」
こうして予定外の3号機+6号機の前補機重連列車が走ることになったのです。
缶圧は2キロまで落ちてしまっており、後補機の3号を逆周り単機回送して前補機として運転再開。缶圧復帰のため乗り込んだF機関助手が前日の仇とばかりにガンガン焚きながら3号機に引っ張られて3周程走行し、何とか5キロ台に復帰し前補機運転は終了したのでした。


6号機の圧力低下が招いた重連運用

この重連運転は、撮影にきていた鉄道ファンの方々などに大変ご好評でしたが、その原因となった6号機のカマ焚きのKさんは後にこう語っています。
「引き継いでから1周して、そろそろ投炭しようと焚口を開けたら真っ暗!6号機の火室には悪魔が棲んでますぅ!」

こうして、毎日一人づつを餌食とした6号機、この“赤い悪魔”の次の犠牲者は誰になるのでしょう?


今回の6号機の犠牲者Aさん(左)とKさん(右)
これに懲りずにまた6号機に乗務してくださいね


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